【幕営釣行】2024年9月 岩魚の楽園を求め南会津山越釣行を敢行し酷い目に遭いスマホアプリに救われた話

【プロローグ】
6月に行ったナカガワさんと群馬県西俣沢での幕営釣行トレーニングを経て、いよいよ本番です。
30年来通い慣れた福島県南会津町を流れる安越又川上流の道行沢を遡行し、稲子山南西部の尾根を越えて下梯子沢にアクセス、上梯子沢との出合を通過して梯子沢中流付近まで下って幕営する計画を立てました。
先達の沢師さんたちの溯行記を拝読すると、道行沢出合1019mから尾根を越えてテン場に至るまでには4~5時間で到達出来そうなイメージでした。
ただ、1つ気になった点が。
それは、入渓地点から幕営予定地点までは直線距離にして僅か2㎞ほどなのに、高低差が約400mあることでした。
これはかなり急峻な登りなのではないか?、果たして60ℓザックに詰め込んだ約30㎏の荷物を背負って無事に登り切ることが出来るのか?との不安がよぎりました。
しかし、人生の正午を過ぎたとはいえ、たまにはランニングで足腰を鍛え、ハーフマラソンの大会では2時間30分程度で走るくらいの体力があれば、まあこなせるのではないかという感覚が勝ってしまいました。
そのとき、自分の体重が約70㎏、総重量にしておよそ100㎏を重力に逆らって持ち上げる作業になるというシンプルな事実は全く考慮の外でした・・・。
【1日目】
思い返せばこの楽観的な判断が地獄の始まりでした。
一応、万が一の遭難に備え、管轄の福島県警あてに登山計画書をメール送信、また、救助費用を担保するためにmont-bellの少額短期保険にも加入しました。
しかし、この準備をするのと今回の山行が楽になるのとは全く別の話です。
当日はナカガワさんとAM6:00にK駅で待ち合わせ、3時間ほどのドライブ。
爽やかな秋空に気分は高揚し、頭をよぎるのは豊漁に感謝しつつ岩魚のフルコースに舌鼓を打つ渓の酒宴のイメージばかりでした。
脳内妄想を十分に楽しんだためか、感覚的にはあっという間に現地に到着。
数年前は崩れていたとされる安越又川沿いの林道は修復され、堰堤付近まで車を乗り入れることが出来ました。

そこから徒歩で入渓点の道行沢出合を目指し、30分ほどで到着。

ザックは重かったものの、この時点ではまだ十分な余裕がありました。この時点では・・・。
そして、この山行の一部始終を記録するためのウェアラブルカメラを胸にセットし、撮影スタート。
しかし、程なくしてこの山行が非常に厳しいものになると認識を改めざるを得ませんでした。
当初おぼろげに想像していた通り、沢の勾配は自分の溯行レベルから考えるとかなりの急勾配。
これは撮影などに気を回す余裕は全くなさそうと感じ、やむなくカメラ電源をオフにし、溯行に専念することにしました。

そこからの溯行の様子については、正直なところあまり明確な記憶がありません。
ただただ苦しく、また喉が異常に渇くため、沢の水をペットボトルに汲み、ソーヤーの浄水器で濾過して飲むというルーティーンを行いながらひたすら急勾配の沢を登っていく苦行。

耐熱100℃のジップロックで調理中の昼食用カレーメシ
一方、大学時代に体育会に所属し、最近私の誘いでランニングを始めてから私より速いタイムを叩き出している体重50㎏台のナカガワさんは私よりかなり余裕がある様子。
昼食時にはへたばる私を横目に、ジェットボイルでお湯を沸かしてくれるなど実に機敏。

それにしてもナカガワさんのジェットボイル、あっという間にお湯が沸くスグレモノで食物がすぐに口に入ったので大変ありがたいと感じました。
ジェットボイル JETBOIL フラッシュ ワイルド 1824393-WILDまた、遡行時には元気よく熊除けのホイッスルを吹き鳴らしながら、弱音を吐きまくる私を鼓舞してくれます。
これも大変ありがたかったのですが、この時私の頭に浮かんだのは「笛吹けど踊らず」という言葉でした。
そんな中で、唯一目の当たりに出来て良かったと思ったのが、最初の一滴が湧き出す沢の源頭でした。これが次第に大きな流れになっていくとはなかなか信じがたいことです。
尾根まではもう少し。
しかし、その少しの距離が曲者でした。
安心して掴まれる木が見当たらず、四つん這いになって草付きを掴んで進みます。
わらにもすがる思いとはまさにこのことだと思いました。
荷物が重すぎ、少しでもバランスを崩せば谷底に向かって転げ落ちるのではないかという恐怖と戦いながら、何とか自重を支え切れるポイントを探し出してしばし休憩しました。
そして、ようやく行程の中間点である尾根に到達。
また、私はおそらく人生で初めて尾根という場所に来たのですが、そこは漫画「山と食欲と私」等で描写されているような、とても見晴らしがよい場所だと思っていましたが、それは全くの誤解でした。

山と食欲と私 コミック 1-19巻セット (新潮社)
そこは自分の身長よりも高い笹が生い茂る藪尾根でした。
そういえば笹って熊の食べ物だったような…。
今度は熊と鉢合わせするのではないかという恐怖と戦いながら、10分ほど藪を漕いで山の反対側へ。
この時ばかりは、時折鳴らすナカガワさんのホイッスルの音色がとてもありがたいと思えました。
ちなみに現在位置把握のため、私が定番の国土地理院1/25000地図のコピーとシルヴァのコンパスを、ナカガワさんがヤマップの地図アプリを準備して臨みましたが、沢の中では圧倒的に地図アプリの利便性の高さを感じました。

SILVA(シルバ) シルバコンパス No.3 Black ECH137
急峻な沢の中では周辺の山などの目標物を視認することが難しく、また、あらかじめ地図に書き入れた水線(地形図に表示のない小沢)のうち、自分たちがいまどの水線上にいるのかの確信が持てませんでした。
もちろん自分の地図読みの未熟さ故であるとは思いますが、地図アプリのGPS機能はこうした弱点を見事にカバーし、私たちを導いてくれました。
もし地図アプリがなかったら、新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」のような結末を迎えた可能性もゼロではなかったなと思いました。

八甲田山死の彷徨 (1978年) (新潮文庫)
ここからは沢を下って行きます。
下りは重力に逆らってはいませんので、登りの時に感じた激しい苦痛はありませんでしたが、体が激しく消耗していたためペースは全く上がらず。
日もだいぶ傾き、下梯子沢と上梯子沢の出合付近に到着したのが17:00頃。
安越又川のスタート地点からは実に8時間が経過していました。
計画ではもう少し下流に下った梯子沢をテン場とするつもりでしたが、これ以上時間を使うと幕営が日暮れに間に合わないと判断し、出合付近で幕営することにしました。
僅かに残っていた気力を振り絞ってタープ等の設営を終える頃にはすっかり日が暮れていました。
当然ながら食材の岩魚を調達するどころではありません。
しかし、幸か不幸か食欲は全くなかったため、行動食兼酒のおつまみとして持参した菓子類を口にしながらナカガワさんが持参した日本酒を嗜む程度にいただき、早めに就寝。
体内の電解質のバランスは完全に崩れていたようで、シュラフの中では何度も足が痙り、明日の体力を温存するどころではありませんでした。
【2日目】
それでも明け方は少し眠っていたようです。
朝日とともに目を覚まし、体を起こすと、すでにナカガワさんが朝食の準備をしてくれていました。
メニューはレトルトカレーですが、昨晩ほとんど食べていなかったこともあってか、涙が出るほど美味いと感じました。
米1合をばっちりと腹に収め、少し体力が回復したような気に。
すると、今日も元気なナカガワさんが、「少し釣りをしよう」と提案してきました。
この時の時刻はAM6:30。テン場を30分で片付けてAM8:00に出発、溯行は昨日と同じ8時間と想定すると、PM4:00には安越又川の堰堤に戻ることが出来ます。
この想定ではAM7:30まで1時間程の余裕が生まれます。
朝食で少し元気を取り戻していた私は、ここまで来て全く釣りをしないのはやはり不本意と思っていましたので、この提案に賛成し、出合を中心に上流をナカガワさん、下流を私が探釣することになりました。
結果、ナカガワさんが1匹釣り上げましたが、私はゼロでした。貴重な体力を無駄使いしてしまったと後悔しました。
AM8:00。私は宴会用に500mlのペットボトルに日本酒と焼酎をそれぞれ詰めて持参していたのですが、少しでも荷物を軽くするためそれらの中身を泣く泣く草叢に流して山の神さまに捧げ、無事生還を祈念しました。
いざ出発。
しかし、復路はさらにペースが落ちました。当初、10分進んで2分休もうと打ち合わせて溯行を開始しましたが、すぐに私のペースが落ち始め、10分が7分に、7分が5分と短くなっていきました。
しまいには溯行時間と休憩時間が逆転し、2分進んで5分休むという状況に。
まさに往復の地獄を体感。
私はあまり記憶にないのですが、ナカガワさんによれば、休憩中の私はヒューヒューと荒い息をしながらしきりに「酸素が足りない!」と口走っていたようです。
地獄の上りを終えて何とか尾根を越え、やっと下りへ。
下りは重力の軛から解放されるためスピードが上がるかと思いきや、前日の溯行で疲れ切った体の反応は芳しくありませんでした。
そして、重力の代わりに襲ってきたのは、昨日に勝る猛烈な喉の渇き。
ポーチ上部のネットに収納しているペットボトルに沢水を汲み、最初のうちはきちんと浄水器を装着して水分補給していたのですが、蓄積する疲労のためいちいち浄水器を装着するのが面倒になり、終いにはペットボトルに汲んだ沢水を直接飲むようになりました。
著しく水流の乏しい小沢のため、自分達が歩いて泥が巻き上がった付近から薄茶色の水を掬って飲むような状況でしたが、そんなことを気にする余裕はありません。
人間は窮地に陥ると泥水も啜れることがわかりました。
そして、このペースでは昼食のために溯行を中断すると日暮れまでに下山できないことを悟り、腰を落ち着けることなく歩き続けました。
途中、往路にはなかった5mほどの岩壁に遭遇。どうやら往路とは違う水線を辿っていたようです。
ここでもヤマップアプリが大活躍。現在位置を容易に把握、このルートを辿っても下山可能であることがすぐに判断出来ました。
そこでこの岩壁をクリアする必要があるわけですが、空身であればヘヅリで簡単に降りられそうです。
そこで、タープ設営用に持参していた太さ5mmのアクセサリーロープ(細引き)を使ってザックを先に岩壁の下に下ろし、身軽になった体ひとつで岩壁をクリア。
あとはもう無我夢中でひたすら歩を進めるのみでした。
そしてPM6:00頃、ようやく出発点に戻ることが出来ました。復路の溯行タイムは実に10時間。さすがにナカガワさんも疲れた様子でした。

熟練の沢師さん達のブログを鵜呑みにしてはいけないことを身を以て学習しました。
それでも何とか無事に生還出来たのは、復路の出発時に山の神さまに捧げた御神酒ゆえでしょうか?
いえ、多分それは一番の理由ではなく、体力的には限界でも、自分の現在位置を見失うことなくゴールまでの道筋を見通すことで精神的な冷静さを保つことが出来たことが大きかったと考えています。
その意味では、ヤマップアプリが今回の山行のMVPでした。
【エピローグ】
山行後の疲れた体で直接帰宅の途に着くのはさすがに無理だと思っていたので、毎年お世話になっている「ロッジ渓山」さんに宿泊の予約を入れていました。
これ以上ないほど気持ちの良いお風呂をいただき(足の爪が6本内出血していましたが)、その後、食堂で溯行の顛末を宿のご主人と奥さまに話しました。
ご主人はクマの巻き狩りの経験もある山の強者ですので、感覚はブログの沢師さんたち同様、私たちの溯行ルートは簡単との認識のようでした。
普段なら大酒を飲みつつ長時間食堂に居座る私たちが、乾杯のビールを飲んだ後は大人しくしていたので、ご主人はおそらくお金が無くて遠慮しているのであろうと思ったのか、「まだ酒残ってるだろ?持って来て飲みなよ」と気を使ってくれました。
しかし、その日は二人とも飲まないのではなく飲めない程に疲労していること、酒は復路の出発時に持参した1リットルをすべて山の神さまに捧げたことを正直に話すと、ご主人は呆れたように、「えぇ? 酒捨てちゃったのぉ?もったいねぇ~」と内角高めを抉るような一言。
・・・おっしゃる通りです。
端から見ればただお酒を捨てただけのもったいない行為であるばかりか、自分の能力を過大評価し、背負い切れない余計な荷物を持参していたという愚行。
次回の源流泊はもう少し荷物を軽くして楽なところに行こうと心に誓う夜となりました。
(終わり)
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